糸で描く小さな物語たち
ミシェル・キングダム - Issue 19
黒いドレス姿の女性が一人、憂いを帯びた表情で佇んでいる。彼女を取り囲むのはフラミンゴの群れ。そのピンク色の尾羽がまるでスカートのように広がり、彼女に彩りを与えるも、彼女はそこに閉じ込められたかのように微動だにしない。
不思議な物語のワンシーンのようなこの刺繍作品。作者のミシェル・キングダムは、こうしたどこか不穏な、しかし魅力的な場面をひと針ずつ重ねる糸で描いていく。
ロサンゼルスに住むミシェルは、1990年頃からUCLA大学で美術を学んだ。「当時のアートの世界では、すごく大きくて、コンセプチュアルな作品が主流でした。そこに感動できるものはなかったし、アートの世界でキャリアを積むことは想像できなかったんです」と語る。そこで、もともとテキスタイルに興味を持っていたこともあり、ミシェルは小さな物語を糸で描くような作品をつくり始める。独学で習得した刺繍は、発表されることなく数年に亘り散発的に続けられた。
友人の勧めもあり、2014年頃から作品を少しずつSNSで発表し始めると、文学的とも言える独特な作風はたちまち反響を呼んだ。
ミシェルの作品の多くには女性が集団で、あるいは一人で描かれている。「自己認識とか、他者との関係性とか、そういうレンズを通して女性の本当の姿を探ってみたいんです。期待と喪失、受け入れられることと疎外されること、真実と幻想・・・こういった相反する思いが引っ張り合う緊張感に興味をそそられます」と語る。
制作はまず頭の中にあるぼんやりとしたイメージを何通りも描くことから始まる。一つのスケッチとしてまとまると、図案を布地に写し、実際の刺繍にかける時間はひと作品につきおよそ100時間にも及ぶそう。「刺繍は骨が折れる作業です。スローモションで絵を描いているようなもの。でももどかしくも魔法のような、驚きのあるプロセスです」と言う。
糸を刺していく感覚は「直観的で流動的」だそう。サテンステッチやフレンチノットといった正統な刺し方もしているが、最近ではより自由なアプローチになったとか。彼女いわく、「獲物を糸で縛る蜘蛛のように、刺繍をしているんです!」
ミシェルはさまざまな文学作品やアートからもインスピレーションを得ている。聞けば、ファン・ゴッホやヘンリー・ダーガーといった、いずれもうちに秘めた孤独を描いた画家や、ヴァージニア・ウルフやアンデルセンなどの作品世界が好きだそう。「アンデルセンの『マッチ売りの少女』を読むと、皆、胸が張り裂ける思いがするはずです。『人魚姫』は女性が陥りやすい自分本位の妄想に気づかせてくれるお話ですし、ディズニーのようなハッピーエンドもありません」。彼女の作品もまた、登場人物が心の奥底に抱える恐れや闇を独白するかのような秘密めいた静けさに満ちている。
一方で、ミシェルは政治や社会など自身を取り巻く問題に着想を得ることもあると言う。「政治的な作品をつくるつもりはない」と断った上で、「今ここにある、無視できない現代的な物語が私の作品にもうひとつ付加的な要素を加えているのは確かです」と語る。
例えば、「There was no going back(後戻りはできない)」と題された作品は、2016年のトランプ大統領誕生を受けてつくられたもの。軍服を着た女性が一人、伝書鳩を背中に携え歩を進める。残りの群れも彼女に連れ立つように同じ方向に飛翔する。これが意味するものは?
「楽観的に見れば、彼女が真実を伝える旅に出発したところに見えるでしょう。でも、より私らしい解釈をすれば、戦いを終えた彼女は疲れていて、使者でありながら人々からは無視されてしまった。でも、その場を離れてもなお、彼女は大事なメッセージを携えている。そんなイメージです」。幾通りにも読み取れるイメージこそが、彼女の作品の最大の魅力なのかもしれない。
自宅の一番明るい部屋のソファに座り、今日もチクチクと針を進めるミシェル。そばにはいつも二匹の猫がくつろいでいるそう。「はたから見たら恐ろしくつまらない作業でしょうね」と自嘲するが、彼女がひと針ごとに綴る物語は、いずれも見る者を深く魅了する。童話のように普遍的で、文学作品のように奥深く、絵画のように美しい。それでいてミシェルの作品は、刺繍という親密で、ゆっくりと花開く世界でしか表現しえないものなのである。
作品
1枚目: Fate Would Conspire (2016)
2枚目: Even Now ... Even Sleeping (2017)
3枚目: There Was No Going Back (2017) (トランプ大統領誕生後につくられた作品)
4枚目: The Height of Folly (2017)
ミシェルさんについてもっと知りたい方は是非SNSやウェブサイトをご覧ください。