3月 18, 2025

ペンをミシンに置き換えて
Nutel渡邊笑理のミシン刺繍

ペンをミシンに置き換えて<br>Nutel渡邊笑理のミシン刺繍

インタビュー 河野晴子
写真提供 渡邊笑理

 

白いキャンバスに、黒く細い線で描かれた花や葉。独特な揺らぎを持つ線は、よく見るとミシンで縫われた糸だということがわかります。一歩近づくと、微かな空気の流れがキャンバスから垂れ下がる糸端を揺らし、とたんに描かれた風景が息づくよう。

 

ペンをミシンに置き換えて、自在な針の運び方で布に絵を描いていくのは、渡邊笑理さん。Nutelという名のもと、平面や半立体、人形などを含む多彩なミシン刺繍の作品を発表しています。

 

滋賀県の自然豊かな町で、縫製工場を営む両親のもとに生まれた渡邊さんは、高校までこの地で過ごします。学校から帰ると家中にシャツの山があり、日常の風景の中に常にミシンや生地があったと言います。

 

渡邊さんはその後、京都の短期大学のテキスタイル科に進んで素地を築いたのち、叔母が勤めていた東京の企画デザインの会社に就職を決めます。幅広くプロダクトデザインに関わり、気づけば充実した日々は20年続いたと言います。

 

しかし、いよいよ叔母からその会社を引き継ぐところまで勤め上げた頃、心によぎったのは一つの違和感でした。

 

「そこで自分の人生を初めてじっくり考えて、このままデザインの仕事をしたいかと自問したら、なんか違うって思ったんです。アーティストに憧れていた部分もあったし、これから自分が楽しくやっていくことをお世話になった人たちに見せたいと思って、独立を決めました」。

 

 

これから楽しくやっていくこと。

それは、渡邊さんが仕事の傍らで少しずつ進めていたミシンを使った作品制作でした。最初のきっかけは、レコードレーベルを持つ友人から、イギリスのアーティストのアルバムジャケットのデザインを頼まれたこと。

 

「この時、鉛筆やペンじゃなく、手元にある工業用ミシンで絵を描いたらどうなるんだろうって思ったんです。生成りの生地の上に単純な鳥の形を縫ったんですけど、曲線を描く時に時間がかかって難しかったりするのがかえって面白かったし、楽しかったですね」。

 

これを機に、その後もアルバムカバーのデザインを手掛けるようになった、渡邊さん。他の刺繍作家との出会いも重なり、コラボレーションをする中で、どんどんとミシン刺繍の可能性が花開いていきました。独立後は、Nutelという名を掲げ、試行錯誤を重ねながら現在の表現に行きついたと言います。

 

Nutelって滋賀県の言葉から来てるんです。自分らしい屋号って何かなと考えた時に、地元の言葉で言ったら、私は縫ってるし、縫うてるし・・・ぬうてる・・・ってふと浮かんで。イントネーションを(頭の音にアクセントを置くように)変えて、ローマ字にしたら元の言葉がわからなくなっておもしろいなと思って。関西人に聞いたら、まんまやん!って言うんですけどね(笑)」。

 

ワイヤーを使った半立体の作品。キャンバスや周りの壁に影ができて、不思議な立体感が生まれます。

 

渡邊さんが主に描くのは植物、動物、そして人物。原風景の山や、日常から拾ったイメージに幼い頃からの妄想ぐせが相まって、現実ともファンタジーとも言い切れない独特な世界が生まれます。

 

「小さい頃から、木や雲を見ては、あれは何に見えるなぁと、空想の遊びをするのが好きだったんです。今も、鹿の角や馬のたてがみを植物にしたり、動物を擬人化したり、日常のモチーフからイマジネーションを広げて、別の世界へと作り替えることが好きですね」。

 

自然からのインスピレーションや、街で観察した人々を描き溜めたスケッチをいよいよ刺繍として表す際には、まず布の土台づくりから始めます。帆布の生地にアクリルガッシュを塗り、そこに古い洋書などから取った紙片を貼り、また絵の具を足す。印刷物の黒いインクがうっすらと透け、独特な陰影が生まれます。

 

立体の作品は型紙を作り、洋服のパターンのように組み立てていきます。白鳥と黒鳥の作品はモノクロのコントラストが美しい。

 

刺繍に使うのは、スイスのベルリナ社の家庭用ミシンと90番のスパン糸。なるべく一本の糸で縫うことを心がけている渡邊さんは、布を針の下に滑らせるように動かしながら絵を描いていきます。その様子は実に鮮やか!シンプルな糸の軌跡が味わいのある筆跡のように立ち上がるのは、手の込んだ土台づくりと、緻密な構図、そして自在な糸運びのすべてが相まっているから。

 

縫い始めと縫い終わりの糸がそのままキャンバスの外に垂れ落ちる様子は、まるで作品の続きがあるような錯覚を起こします。渡邊さんはこう語ります。

 

「構図にはこだわっています。あえて余白をつけたり、モチーフもキャンバスの中で完結させないようにしています。その先に何かがある、何かが起きるかもしれない、ということを感じてほしいんです。(作品を指差しながら)この猫もキャンバスの外に向かって歩いているように尾っぽの方の半分で終わっています。あとは想像にお任せします。もしかしたら、犬かもしれないですしね(笑)」。

 

壁に掲げられたキャンバス作品。尾っぽ部分しか見えない動物は猫?はたまた、犬?見る人の想像が自由に広がります。

 

モノクロの表現も、見る側の自由な観察に委ねる遊び心のある工夫の一つ。「スケッチをステッチにする際に、モノクロにしたら見る人のイメージがより広がると思うんです。モノクロだと、かえって色を感じると言う人もいます。花であれば、それが赤であっても、青であってもいい。制作している間は自分の作品だけど、お客さんに見てもらってからは好きに想像してもらっていいと思っています」。

 

今年、10年目を迎えるNutelの活動。音楽家の演奏に合わせて観客の前で即興的に縫うライブソーイングや、各地での展覧会を経て、今望むのは、より大掛かりなインスタレーションや、海外での展示が増えること。でも、常に基本にあるのは、作品を介した見る人との交流だと渡邊さんは言います。

 

「この人は夢うつつなのか、どういう風に何を思っているのか。見る人によって変わるのが面白いですね」と、渡邊さん。

 

「私の作品を通して何かを感じてほしいです。作品を買ってくださる方も、何かその時の心情が、私の描いていた時の心情とリンクしていることがあるんですよね。気持ちが落ち着くとか、元気が出たとか言っていただけると、その人に私の作品が寄り添えたんだなと思えて嬉しいです」。

 

 

渡邊笑理

ソーイングアーティスト。嵯峨美術短期大学 テキスタイル科卒。
2003年頃からミシンを使ったフリーハンドステッチで絵を描き始める。主に日常にある風景、空想の風景や、動植物、人物をモチーフに布や紙にスケッチするような感覚で縫い描き、絵画やオブジェを制作している。Nutelは、滋賀県の方言の「縫うてる」が語源。

 

ウェブサイト:
https://nutel.jp

インスタグラム:
https://www.instagram.com/nutel_eri/

アトリエをギャラリーとして開放しているNutelier(ヌテリエ)の活動についてはこちらから:
https://www.instagram.com/nutelier_atelier

 

Nutel exhibition
「よそのおじさん」
giggy2(高知)
2025年3月15日(土)〜22日(土)
https://www.instagram.com/giggy2_/

 

Nutel exhibition
「Hamon」
IDEE SHOP 自由が丘店4F
IDEE GALLERY AND BOOKS
2025年5月23日(金)〜6月23日(月)