10月 31, 2021

紅型染め - Issue 22

紅型染め - Issue 22

Interview: 知念紅型研究所代表、知念冬馬さん

沖縄には多様なテキスタイルの伝統がありますが、染めの技法は紅型だけ。紅型は色々な意味で、日本の他の染色技法と異なります。今回私たちは、紅型三宗家といわれる古い工房のひとつ、400年続く知念紅型研究所へお邪魔し、代表の知念冬馬さんからお話をお聞きしました。

 

一般に広く作られ着られていた芭蕉布とは異なり、紅型の着物、特に型紙を何枚も使い鮮やかに染め上げる図案は、琉球王国の王家や氏族に占有のものでした。王宮にいる専属の絵師が新しい図案を作り上げると、それは紅型三宗家のいずれかに渡され、王族・氏族のためだけに染められました。琉球紅型が他の染めと決定的に違うのは、交易で得られた世界各地の鉱物の粉から作る顔料を、図案の色付けに用いるということ。鉱物には貴重なものも多く、鮮やかな赤や黄色は王や王子だけに許される色でした。紅型というとシックな色味の江戸紅型や、はんなり華やかな京紅型もありますが、いずれも染料が用いられています。琉球紅型は沖縄の強い紫外線に負けない鮮やかな色彩が美しく、ハッとするような赤、黄、青、緑は顔料だからこその色合いだと言えます。

 

沖縄の紅型がひとめでそれと分かるのは、色だけではなく、柄も一般的な和柄と異なるから。本土から流入した和柄をベースとしながらも、大陸などから影響を受けた柄もあるそう。戦前から伝わるものを古典柄と呼ぶそうですが、古典柄には本土ではタブーとされるような、紅葉桜雪輪の模様のようなさまざまな季節が一つの柄に同居しているものもあるのがユニーク。知念家には知念家独特の古典柄が多く伝わり、戦後に生み出された現代的なものも合わせると、図案の数はなんと2000ほど。型紙は生地への糊付けに繰り返し使われるので消耗品であり、痛んだらまた彫り直しされるそうです。

 

紅型のもうひとつの特徴は、工房で全ての作業が完結することだそう。昔でこそ王宮に絵師がいたそうですが、近代以降の工房では、図案作りから型彫り、図案の染めから全体の染め、洗いまでを一気通関で行います。筆や小刀などの道具づくりも欠かせない仕事のひとつなのだとか。一般に染めの仕事は分業が多いものですが、琉球紅型では工房内ですべて内製できることで、技術を継承しやすく、また需要の変化にも対応しやすく、この工芸がいま盛んだというところに繋がっているのだと思います。

 

紅型の工程はまず、図案を描いて型を彫る作業から始まります。彫りを主に担当しているのは冬馬さんや奥様。線をカットするのではなく、小さい刃先で突く方法で微細な図案を彫っていくそう。出来上がった型紙は、見やすいように色を付けた糊で生地に写し取られます。糊は半日ほどで乾きますが、湿度が影響するので、冬の時期は乾きやすく作業に適しているそう。

 

色差し工程は、顔料に呉汁を混ぜたものを筆で図案に乗せていく作業。色載せ用の筆で色を入れ、毛が切り揃えられた刷り込み用の筆で繊維の中まで浸透させます。呉汁を混ぜた顔料は痛みやすく、素早く使い切るため、一人の人が1色を担当して全体を仕上げます。地の色を差し終わったら、次は隈取りと呼ばれる、ぼかしの作業。立体感を出すため、地より濃い色や反対色などでぼかしを入れます。色差しや隈取りは、帯であれば2~3日ほど。一人が1色ずつを担当しながら、大勢で一気に仕上げることが通常だそうです。

蒸して洗いに掛けたら、今度は色を差した部分にもう一度手作業で糊を載せ、背景となる部分を染料や藍で染めます。藍は琉球藍で、工房内でスクモを使って建てています。さすが暖かい沖縄、基本ヒーターが必要ないのだとか。

 

何も機械化できない、すべてが古来の手作業で行われる紅型染め。いまその価値が再び認められ、工房は大忙し。大学などで染織の技術を身につけた若い職人さんたちが楽しそうに働いている姿に、これからの紅型の可能性を感じます。

古来の紅型には一般的な型染(着物や帯で主流)や筒描(主に風呂敷などに用いられるそう)以外にもさまざまな技法がチャンプルーで使われていたそうで、常に進化し、新しいものを取り入れる土壌があるのだと想像します。将来にわたって紅型がどのように発展していくのか、注目していきたいと思います。