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色とりどりの絹糸で面を埋めるようにびっしりと刺繍を施した布、スザニは、ウズベキスタンなどの中央アジア地域で古くから女性たちが手作りしてきたものです。元々はベッドカバーや壁掛けなどの嫁入り道具として婚礼前に準備するものでしたが、近年ではお土産として人気。雑貨屋で色鮮やかなクッションカバーを見たことがある人も多いのではないでしょうか。
今年2月、ウズベキスタンの刺繍家ズフロ・オブロベルディエヴァさんの展示会と刺繍ワークショップが相模原市で開催されました。主催した東海大学の講師今堀恵美さんとズフロさんに、スザニの魅力と伝統をつなぐ活動についてお話を伺いました。
ウズベキスタンはユーラシア大陸のほぼ中央に位置し、シルクロードの中継地としてさまざまな民族が行き来する中で、豊かな文化が生み出されてきました。サマルカンドやブハラといったオアシス都市が有名で、2018年には日本からビザ無し渡航が可能となり、以前より身近な国になってきています。
展示会には大判の壁掛けから、テーブルセンターやクッションカバー、刺繍を施した服まで、多くの作品が並びました。「日本人は作品の細やかな部分にも注目してくれるのでびっくりします。皆さん、布地の裏の始末まで見るんですよ。モチーフの意味や歴史にも関心を持ってくれて嬉しい」とズフロさん。
今堀さんによるとスザニの発祥ははっきりしないものの、19世紀にはすでに婚礼の持参品として多くのスザニが作られていたことが分かっています。
モチーフや使う色は地域によってさまざまですが、ズフロさんが暮らすブハラ近郊の農村地域は、ピンクを中心としたパステルカラーの刺繍が特徴です。モチーフにはそれぞれ意味と由来があり、例えばザクロは子宝、カーネーションは家族愛、唐辛子は魔除けで、水差しはおもてなし。イスラム教では伝統的に人物や動物をモチーフとすることは少なく、植物など自然の景色を刺繍することが多いです。
こういった伝統的な模様を組み合わせることでオリジナリティを出す一方で、ズフロさんはモチーフの色は変えないように気をつけているそう。水色など寒色系が大好きですが、例えばザクロを水色で縫ってはだめ。「伝統を残すことが目的なので、かわいくて売れるとしても勝手に色は変えません」
そういった制約の中で、ズフロさんの刺繍を特徴づけているのは、なんといっても絹糸の色の美しさと豊かさ。
インドに留学して学んだ草木染めの技術を生かし、夫と力を合わせて美しい絹糸を染め上げています。1枚のスザニに平均で20-30色、ものによっては50色以上を使うそう。今堀さんによると他の地域で用いられる色は平均で8-10色だといい、ズフロさんのスザニの色彩の豊かさが際立ちます。絹は褪色しやすいですが、20年経っても色褪せないのも彼女の染めの魅力。撚っていない柔らかな絹糸を適切な太さに裂きながら用いるため、刺繍に表情が生まれ、工業製品とは違った柔らかさや温かみがあります。
大判のスザニの制作にはかなりの時間がかかるので、大勢で分担して仕上げます。まず、約30cm幅の細長い平織りの布を繋ぎ合わせて図案を下書き。それを解いたものを縫い子たちに配り、分担して刺繍してもらいます。縫い終わったら再び布を繋ぎ合わせて細かいところを仕上げるという流れです。
中心に布の繋ぎ目が見えます
ズフロさんが主に用いるのはサテンステッチ。縫い方は大きく分けて2種類あり、ザミンドゥズは布の織り地を数えてステッチの長さを統一するもの。ザミンは地面の意味で、まるで地面を埋めるようにみっちりと埋め尽くすことから名前がついています。糸の使用量も多く、より手が込んだ印象です。
ザミンドゥズ
もう一つはカルスドゥズ。ステッチの向きや長さは自由で、より軽やかな印象に仕上がります。
カルスドゥズ
ワークショップでは、希望のモチーフを伝えると、ズフロさんがフリーハンドでささっと下絵を書いてくれました。簡単だとされるカルスドゥズにチャレンジしましたが、几帳面な日本人にはザミンドゥズの方がハードルが低いかも?
まず面を埋めて、その後に縁取りの順番。縁取りだけでもかなりの時間がかかりますが、模様がはっきりと見えて美しいとされています。本来は刺繍枠は使わず、床に座って足で布地をおさえながら全身を使って刺すそうです。よく見ると、刺繍せずに縫い残した部分があるのもスザニの面白さ。作品を終わりにせず、いつまでもこの仕事が続きますようにとの願いが込められているのだとか。
ズフロさんは15歳の頃に母親に刺繍を習い、縫い続けて55年になります。
ズフロさんが生まれた1953年、当時のウズベキスタンはソ連の統治下にありました。用いる言語はロシア語に、文字はキリル文字に。家の中では伝統的なウズベキスタンのモチーフを刺していたものの、表向きに縫うモチーフはビビッドなカラーのバラなど、ロシア風のものに変わったそうです。
ソ連時代のもう一つの大きな変化は、元々は家で仕事をしていた女の子たちが男女平等に学校へ行くようになり、卒業後は家庭の外で働くようになったこと。ズフロさんもその一人。卒業後は美術教師として勤めました。
この流れの中で、嫁入り道具も手縫いではなくミシン刺繍になったり、工場で作られた既製品を購入するようになったり。伝統的な作品は蒐集家に持ち去られたといいます。
1991年にソ連が崩壊し、ウズベキスタンは独立。経済統制がなくなり、民営化の波が押し寄せました。その中で最初に民営化されたのが手工芸の分野でしたが、いきなりうまく行くわけもなく、工場が潰れて多くの女性が職を失いました。
国の独立後にインドへ留学し、草木染めの技術を学んで戻ってきたズフロさんは、そんな女性たちの職を作るために刺繍事業を立ち上げたのです。
今堀さんとズフロさん
どうしてもソ連時代にウズベキスタン固有の文化が失われてしまったのでは?とネガティブな見方をしてしまいますが、「ソ連時代があったからこそ今がある」とズフロさん。女性たちが家の外で働く土壌ができ、仕事を通してウズベキスタンを訪れる外国人と交流し、海外のニーズを知ることができたためです。
ズフロさんが雇用する縫い子の人数は最盛期には300人に上り、彼女に影響を受けてビジネスを立ち上げる女性も相次ぎ、スザニ刺繍は大きな盛り上がりを見せました。絹糸の生産、染色から刺繍までを統括し、高品質なスザニを作り続けてきたズフロさんは、大統領から賞を受賞し、世界中で展示をするまでになりました。まさに道を切り開いてきたと言えます。
一方、現在ではズフロさんの暮らす地域にも外資が入り、ファストファッションの工場に働きに出る女性が増えました。縫い子よりも簡単に稼ぐことができ、労働環境も良いためです。また、最近は工場で作る安価で小さいスザニが観光客に人気となり、本格的な手刺繍は以前ほど売れなくなってきました。
それでもズフロさんは「伝統を大切に繋ぎたいから、品質を変えずに良いものを作り続けたい」と話します。
「最初は雇用を作るために始めたけれど、続けているうちに、本当にやりたいのは次世代に伝統を伝えることだと感じるようになりました。たった一枚のスザニがきっかけになり、私たちの手仕事に興味を持ってくれる方が増えたら嬉しいし、作品がウズベキスタンから遠く離れた場所で残り続けるのも感慨深いです」
今後も販路を拡大したり、世界中で展示をしたり、チャレンジを続けたいというズフロさん。次の展示会が楽しみです。