10月 31, 2021

芭蕉布 - Issue 22

芭蕉布 - Issue 22

 

Interview: 喜如嘉芭蕉布事業協同組合 理事長 平良美恵子さん

 

芭蕉布の歴史は古く、13世紀から14世紀ごろにはもう作られていたと言われています。広く夏衣として一般的に普及していただけでなく、上質なものは税の代わりに召し出され、琉球王国を通じて中国、朝鮮半島や日本幕府への献上品とされていました。主要な輸出品のひとつとして珍重されていたことは、文献を通じても確認できますし、王族などから寄付されたコレクションの一部として、欧米の複数の美術館に収蔵されていることでもわかります。

芭蕉布とは、バナナの仲間の品種である糸芭蕉の植物から採取された繊維で織られる布のこと。風通しがよくさらっとしつつ、光沢があってしなやか。常夏の沖縄では普段着から晴れ着まで古くから親しまれ、江戸時代には武士の礼服である裃にも用いられ(通常は奈良晒をはじめとする麻が一般的)重用されました。

糸芭蕉ですが、食用のバナナ(実芭蕉)とは異なり、種が大きくて実が少なく、食用には適しません。芯止めや葉落としをして根と先端の太さを一定にしたり、繊維を柔らかく保ったりしながら肥料を与え、3年間育ててやっと収穫できるのですが、実がなってしまうとその芭蕉は使えないという厳しさ。収穫に適した時期は10月から2月ごろと短く、その間日々畑に行ってその日に収穫できそうな幹を見極め、収穫したらすぐに皮を剥いで加工しないといけないのです。原料の確保が一番難しいというのが頷けます。

特に明治から昭和にかけて、庭の片隅に芭蕉を植え、副業として芭蕉布作りをしていた家庭が多かったということですが、戦中戦後の食糧難の時期に多くの場所で芭蕉から野菜畑に転換され、芭蕉布作りは廃れていきました。

戦後の民芸運動のなかで芭蕉布を再発見した平良敏子さんは、本土で染織の技術を学び、故郷に戻って芭蕉布の復興に尽力しました。地元の女性たちに声をかけて芭蕉布作りに参加してもらい、技術の向上を目指すとともに、芭蕉布の商品価値を高めたり、作業の効率化や新商品の開発を進めました。現在その取り組みは義理の娘、平良美恵子さんへと引き継がれ、生産技術や歴史に関する調査、技術の継承、古典衣装の復元などに尽力されています。

 

美しい芭蕉布を作るには、まず美しい糸を作る必要があります。それにはまず良い糸芭蕉から。

今回私たちは取材に当たって、畑で収穫する様子(苧倒し・うーとーし)から見せていただきました。採りたての芭蕉のみずみずしいことにまず驚きました (本頁写真2~3枚目)。玉ねぎのように何層にも重なる繊維の皮。どこまでが柔らかくてどこまでが硬いのか、傍目には全然わかりません。剥いでより分けた皮を、さらに1/3くらいのところで半分に割き、その部分だけ使います。残りは土に還っていきます。繊維が太い部分は紐や粗い織物にしかならないので、上質の着物に生まれ変わるのは、ほんの一部ということになります。

3年にわたる手入れが必要なことはもちろんですが、古くから使われている芭蕉畑というのは、適した土壌の質だけでなく湿度や日照などの条件にも左右されるということです。そしてタイミングを見極めて収穫する技というのは、経験でしか身につかないと、美恵子さん談。

 

収穫した芭蕉の繊維を煮て洗ったリボン状のものを、次は竹の道具で加工するのですが、その工程を体験させていただきました(写真4枚目)。竹のトングのようなもので繊維を挟み、灰汁のアルカリで柔らかくなった繊維以外の部分を削ぎ落としていきます。数回繰り返し、綺麗な薄黄色の繊維だけが残ります。力加減が難しく、初心者の私たちには使えるようなものは全く作れませんでした。この繊維を乾かしておき、そこから糸への加工が始まります。繊維を一定の細さに割いて結びあわせ、長い糸にする。これだけでも気の遠くなるような繊細な作業ですが、その後の織りにおいても、乾燥に弱い芭蕉の糸は、綿や絹にはない難しさがあります。

このような職人技の担い手を育てるべく、喜如嘉の芭蕉布保存会、そして芭蕉布事業協同組合が芭蕉布会館と工房を中心に地元から人材をリクルートし、育ててきました。芭蕉布は沖縄の風土と切っても切り離せないもの。沖縄にいないと作れない布なので、自然と目が地元に向いたと言います。それに一人前になるには非常に時間がかかるため、生涯喜如嘉で芭蕉布作りを受け継いでくれる人を求めているそうです。

 

現在は芭蕉畑もグッと減り、さらに放棄された場所が目に付きます。日本人の着物離れに加え、地域の過疎高齢化、コロナウィルスの流行による影響など、芭蕉布の継承には困難が立ちはだかります。また自宅での洗濯が難しい(着物全般の問題ですが)というのも大きなハードルになっているとのこと。柳宗悦は芭蕉布物語のなかで「こんなに美しいものが現在尚も作られているということは、奇跡にも等しい」と言っています。今後も芭蕉布が奇跡であり続けるための数々の困難を、美恵子さん率いる保存会と事業協同組合が強い情熱と新しいチャレンジで乗り越えていって下さるものと信じています。amirisuも微力ながら、何かできることがあれば、と想いを巡らせています。