11月 01, 2023

インタビュー
原田カッサンドラ

インタビュー<br>原田カッサンドラ

 

Harada Wool & Founder of Tokyo Yarn Crawl, living the life she was "made to"

Interviewed by Meri Tanaka

 

カサンドラさんと私たちは、ほぼamirisuを始めた頃からのお付き合い。マルチなファイバーアーティストでもあり、Harada Woolのオーナーでもある彼女。現在は自前のコルモウールの糸をイギリスでツイードの布に仕立てることもしています。そして、最近では3人の友人と共にMade Toというフルオーダーのブランドもスタート。このインタビューでは、彼女のテキスタイルをめぐる旅の一部をご紹介します。

 

amirisu: 編み物やソーイングをいつからやっていますか?編み物を始めたきっかけはなんでしょうか。

原田カッサンドラ: 今となっては不思議な感じですが、母や祖母がかぎ針をやっていたので、私が最初に手をつけたのもかぎ針でした。8歳のときにはヘアアクセサリーやその他、端切れでできる直線縫いの小物などを縫い始めました。中学校ではパッチワークキルトを始め、高校時代はウェディング用の小物やドレスなどを作っていました。初めて棒針で編み物をしたのは19歳のとき。大型のディスカウント店の店内を歩いていたら、編み物スターターキットが9.99ドルで売られていたのを発見しました。そのキットと、手持ちのお金で買えた一番質の悪いアクリル毛糸を買い、自分で編み物を習得しました。それ以来、大学時代はずっと編み物をして過ごしました。編み物を始めてすぐに原毛と出会い、紡ぎを覚え、それから段々とのめり込んでいきました。

 

amirisu: 日本に住むようになった理由は?

原田: 様々な理由で来日を決めましたが、一番大きな理由は日本に住んでみたかったからです。現代のアメリカは安全でもなく機会が均等に与えられているわけでもなく、特にアートを志す人間にとっては住みにくい場所です。私にとって日本は希望に満ちているように見えましたし、クリエイティブな分野に身を置く人間にとっては、生活費を稼ぐ方法が色々ありました。1年ほど住んでから、日本に永住することを決めました。旅行へは時々出かけますが、東京を離れるのはあまり好きではありません。今私が住んでいるエリアでは、人々がお互いを助け合い、見守りあっているように感じています。東京のすべての地域が同じではないにしても、東京以外の街に住むことは想像できません。

 

amirisu: どのように編み物の仕事に関わってきたか、お店の話や、東京ヤーンクロールを立ち上げた経緯などを教えてください。

原田: 日本で最初に住んだのが津田沼で、そこにはとても大きなユザワヤがありました。そこでアシュフォードの紡ぎ用品がたくさん売られているコーナー、そして何列も棚が並ぶ毛糸コーナーを見た時の感動を今でも覚えています。私は紡ぎ車を1台購入し、たくさんの毛糸を紡ぎ始めました。たくさん紡ぎすぎて編む時間がまったくなくなり、また私の紡ぎの技術は上がる一方だったので、小さなクラフトフェアなどで糸を売ることにしました。その頃には手染めのウールの人気が出てきて、それもやってみることにしました。2011年にHitsujidamaという毛糸ショップをオープンし、オンラインと実店舗でおよそ7年ほど運営していました。毛糸ショップという仕事を通して多くを学び、素晴らしい人たちにも出会うことができましたが、毛糸業界のペースをまったく楽しめない自分にある時気づいたのです。私1人で在庫管理をし、経理もし、パターンの案を考え、デザイナーを探し、常に新しくて面白い商品を探し求め、そして編み物をうまく教える方法を模索し、カスタマーサービスもしていました。常にプレッシャーを感じていましたし、時には競争心も煽られました。

そんななか、地域の小さなお店との関係を築いていきたいと思いはじめ、友人と東京ヤーンクロールを立ち上げました。2週間をかけて東京中の毛糸ショップを巡るこのイベントは、すでに10年も続いています。1年のうち7~8ヶ月は企画に費やしているので、もっと大勢の人が参加することでこのイベントをさらなる成功へと導いてほしいと思っています。

 

amirisu: 羊を飼って自分で毛糸を作ろうと思い立ったのはなぜですか?

原田: 家族でニュージーランドを訪れた時、羊の毛刈り体験をしてみました。そこですぐに羊や牧場に興味を持ちました。その後、日本やアメリカの牧羊家たちや、イギリスの紡績工場の人々と多くの時間を過ごし、毛糸を作るのに必要なプロセスついて学びました。本当に信頼のおけるウールを使った自分の毛糸を作ってみたいとはずっと思っていましたが、 それには自分で羊を育てるしかないと感じていました。2014年にクララ・パークスさんのコルモ・プロジェクトについて知り、Elsa Woolから定期的に自分用の毛糸を購入するようになりました。時々自分のお店で販売したりもしていましたが、とにかく手触りを含めたコルモの素晴らしさに夢中になりました。そのすぐ後に偶然、両親が農場を購入することになり、義父が羊を飼おうかなと軽い感じで言いはじめたので、絶対にコルモがいいと伝えたのです。

 羊を育てて毛糸を作るのには、多くの困難が伴います。私たちが乗り越えなければならなかった最初のハードルは、単純に羊を死なせないということでした。羊たちの人生の目標は早死にすることだと思えるほどです。羊を育てはじめた最初の年、寄生虫、病気、そして羊を食べてしまう野生動物に悩まされ続けました。次の困難は、羊を育てるのにかかる様々な経費です。病気の羊を獣医に診てもらうのにも何万円から、時には何十万円もの費用がかかりました。干し草、藁、餌、毛刈り、そのほかの費用全部が常にのしかかってきます。原毛を紡績するのにも信じられないくらいの費用がかかり、それに日本への送料と関税なども高額です。毛糸が仕上がったとしてもそれはそれで頭痛の種です。なぜならサンプルを編んだり、デザイナーに送るほどの量を確保できないからで、それなのに他の小さな毛糸メーカーと競って販促をしなければなりません。このように困難ばかりの事業ではありましたが、私はこんな性格なので、自分の羊から毛糸を作り、それを生地に仕立てるという一連の作業は、人生でも最も満足度の高い体験となりました。もし明日死んだとしても自分が成し遂げたことを誇りに思いますし、ウールを扱う人間としてのキャリアを築けたことにとても満足しています。この冬、自分の糸から織った生地で仕立てている冬用のコートを着ることを、とても楽しみにしています。

 

amirisu: 洋服の仕立てを始めた経緯を教えてください。師匠をどのように見つけましたか?また、学ぶ過程はどうでしたか?

原田: 2018年の10月、ロンドンのサヴィル・ロウを訪れたのですが、ウィンドウディスプレーや、この地域のカルチャーに触れすぐに魅了されました。こんなお店がまだ存在していたということにも驚き、この世界に仲間入りしてみたいという気持ちに捉われたのです。と同時に、私のこれまでの作り手としての遍歴の次のステップとして、これが相応しいのではないかと思いました。作り手たちと繋がり続けながらも、小売業界から身を引きたいというニーズにもマッチしていました。特に重要だったのは、技術の高いテーラーたちが良質のウールを使うという、私の価値観とも似通っていたことです。

日暮里の繊維街を歩き回って、いろいろな人に助けを求める中で、師匠を見つけることができました。リネン専門店の安田さんが、師匠となってくれそうな人の一覧をくださったので、私は即座に順番に電話を掛けました。すると、後に師匠となる広川さんが「とりあえず遊びにきなさい」と言ってくれたのです。翌日早速彼の工房を訪ね、おそらく彼は1時間くらいで私が帰ると予想していたと思うのですが、私はそこに居座りました。全部教えてくれると約束してくれるまでは帰りません、と。

指貫の使いかたから針の持ちかたまで、すべてが新鮮な学びでした。テーブルの上で手縫いをするのも、最初はとても難しいものでした。勉強はとても大変で消耗しましたが、これまでの人生でも特に価値のあるものでした。パンツを仕立てる修行からスタートし、現在はウエストコート、ジャケット、コートへと進んでいます。自分でコートを仕立てる自信が付いたら、もう少し型紙について学ぼうと思っています。

 

amirisu: 以前お話しした時に、常に何かを作りたいという強い欲求があるということと、それが自分の宗教的な体験に結びついているという部分が印象に残っているのですが、もう一度詳しく説明してもらえますか?

原田: 若い頃は、キリスト教のペンテコステ派の信仰のなかで育てられました。これはプロテスタントの一部で、特にカリスマ性が強く、とてもドラマチックな宗派です。成長して自由に考えられるようになってからは、そんな戒律や宗教心は捨て去り、もう自分をキリスト教徒だとは思っていませんが、歳をとるにつれて、宗教的な体験を少し懐かしく思う気持ちも生まれました。説明するのは難しいのですが、ミサの時間、大勢で一緒に歌ったり祈ったりする最中に部屋を満たす、強烈なエネルギーを今でもまざまざと思い出せるのです。正確には表現ができませんが、喜びに溢れていて、すべてがあるべき姿で存在するという感覚です。それがおよそ10年前、1つの空間で他の人たちと一緒に作業している時、これと同じエネルギーを感じたのです。その後理解したのは、こういった体験を脳で処理する場所が同じだから、似たような感覚を得られたのだということ。例えば、大勢で同じチームを応援するようなスポーツイベントや、教会でのミサ、4人のテーラーが1つのジャケットを一緒に作るという作業は、いずれも素晴らしい宗教体験と同じように感じるのです。

私は普段ひとりでいるのが好きですし、ひとりで作業をしていますが、週に何日かは他の人々と同じゴールに向かって仕事をするのもいいのではないかと思い始めました。作ること、そして一緒に作ることは私の人生に価値をもたらしてくれます。手作りというものは、私にとっての一種の宗教になりました。

 

amirisu: 世の中には様々な創作の手法がありますが、あなたにとってソーイングや編み物が特別なのはなぜですか?

原田: 私がテキスタイルに夢中になるきっかけとなったのは、東京へ移住して住まいもコンパクトにする必要性が生じたことです。実用主義に変わり、何かを作るとしたら有用性が高いものでなければいけない、と決めました。ソーイングと編み物はまず、家族の洋服を作ったり補修したりするのに役立ちましたが、毎日使える友人への贈り物にもなりました。自分を落ち着かせ、安定させるのにも役立ちます。編み物とソーイングはリズムのある作業で、他の伝統的な工芸にはない鎮静作用があるのではないかと思っています。

 

Made Toプロジェクトについて

日本で数年毛糸店をやり、そこで編み物を教えていた彼女でしたが、アメリカに戻る際にやっていた店を一旦閉めてしまい、2019年に再び日本に戻ってきた時には、次に自分が何をやるのかをかなり迷っていました。その当時、彼女はニットウェアのデザインだけではなく、仕立ても始めており、ありとあらゆるハンドクラフトの技術を会得しようと奮闘していました。よって、前と同じような仕事ではなく、ハンドクラフト全般の普及を追求するために今までと何か違うことをやれないかと考えていたのです。

とりあえず、彼女は友人でもあったマレー・トゥーズさんのために、一種の練習台として、セーターやスーツを作ることにしました。マレーさんは日本在住のソフトウェアエンジニア。彼は彼女のハンドクラフトの仕事に対し、とても高い評価をくれる数少ない人だったのです。彼のためにセーターやスーツを数着作ったあたりで、これをビジネスにするべきではないかと彼が提案してくれました。プロジェクト名はMade To。少し時間は掛かりましたがウェブサイトを彼が立ち上げ、ビジネスについても色々と教えてもらいました。制作担当として他二人も加わり、4人で小さな会社を始めたのです。クリエイティブヘッドのカサンドラ原田さん、テクノロジーとソフトウェア担当のマレー・トゥーズさん、編み物担当の富田久子さんと杉浦幸恵さんです。

富田さんは企業で働いた後、65歳で編み物に出会い、その奥深さにのめり込む日々。杉浦さんは自身の子供のために編み物を始めて以来すっかり編み物に夢中になったとのこと。カサンドラさんは顧客対応、フィッティング、もちろん編み物もしています。マレーさんは技術者ですが、使用される素材に関係なく、手で何かを作り出すことに興味があるそう。

現在Made Toでは自社のスタジオでニットウェアの制作、仕立てを行っています。その顧客の多くは、誰も持っていない特別な一着を求めるファッションに敏感な男性が多く、他には既成服のフィット感に不満を持った方や、大切な服のリメイクを希望する方などがいます。

彼女たちの理想的な顧客は、ハンドクラフトに多大な興味を持ち、衣服が形になっていくのを見る体験を楽しみにしている、フレンドリーで愛情深い人々です。 

オーダーメイドで服を作るという作業はとても時間が掛かるもの。フィッティングを含む各ステップを楽しみながら、一緒にプロセスを進め、作業が進行するにつれアップデートを繰り返します。その途方もない時間を一緒に楽しみ、辛抱強く待ってくれる顧客を彼女たちは求めていますし、そのことを共有できた顧客とは商品を手渡した時にまるで友人関係になったような気持ちさえするのです。

また、プレタポルテの商品も扱っており、友人への気の利いた贈り物や何か特別なものを購入したいという顧客に選ばれています。

オーダーのニットウェアを作るプロセスについて少し説明しましょう。顧客がウェブサイトから連絡してきたら、彼女はまず雑談から始めます。顧客のことを少しでも理解するためです。次に商品が完成するまでかなりの時間が掛かること、そしてその工程を説明します。何を作るのかの合意ができ、価格体系について十分な説明を行った後、採寸のために直接会います。顧客が海外に住んでいる場合は、採寸のデータをもらうか、または気に入っている服を送ってもらう場合もあります。

顧客が地元の方だった場合は、フィッテングの過程で何度かお会いします。これは顧客とのつながりを作る良い方法だと思いますし、時々コーヒーを飲みながら会話をすることもあります。仕上げが完了したら顧客に渡すわけですが、その際満足しているかどうかを何度も確認し、生涯無料で修理が可能であることを伝えます。それがオーダーメイドだと思うからです。

こんなに工場生産のニットが世に溢れている中、手編みのニット、それもオーダーメイドのニットを作成しているMade To。オーダーメイド以外のものとの差別化をどう考えているのでしょうか。彼女によると、ニットを作る際に重視している点は、ゲージの密度と糸の品質だとのこと。入手可能な最高の糸を使用し、その糸の特性が十分に発揮できるようなゲージを設定し、顧客の満足するフィット感を得られるまで何度もやり直しを繰り返します。その過程を経て顧客に届けられるニットは、顧客にとって貴重な、そして個人的な思い入れが深いものになるに違いありません。

オンラインストアに掲載しているプレタポルテについては、使用するデザインがどのようなものであっても、そのデザインがユニークなものであり、最高の糸を使用するよう努めています。

今後のMade Toはどのように進んでいくのでしょう。彼女はすでに夢見ていていたことを楽しんでいると言います。仲間と共に、衣服を作るプロセスに深く興味を持っている顧客と一緒に仕事ができているからです。今後もMade Toのコンセプトに共感できる顧客が会社を訪ねてきてくれることを楽しみに待っています。

 

 

写真1: 特別にクレジットがあるものを除いて、写真撮影はMeri Tanaka Jemison 左側から富田久子さん、杉浦幸恵さん、 カサンドラ原田さん。

写真2: 壁にかかった東京ヤーンクロールのロゴ。
写真3: Harada Woolの毛糸と、彼女の毛糸から作られたツイード生地。

写真4 & 5: アトリエにあるカサンドラさんのデスク。
写真6: 進行中のMade Toプロジェクト。さまざまなスウォッチやバッグ。 

 

写真7 &8: カサンドラさんとマレーさん; Made Toのセーター。写真提供は原田カサンドラさん。