6月 01, 2022
Through the Lens - issue 24
金継ぎを始めた。月に一度陶芸家の友人の自宅に集まり、それぞれ欠けた器を持ち寄る。割れたかけらに漆を塗って、接着し乾かす。翌月固まったそれを削り、隙間があればさらに埋める。合成接着剤を使えばきっとずっと、早いのだけれど。口に入るものだし、本漆にしている。
10年ほど前、息子がまだ歩かない赤ちゃんだった頃、ある器を見かけた。薄くてうつくしいそれが、慣れない育児で乱れた暮らしを照らしてくれるような気がした。購入しほくほくと持ち帰り、玄関で鍵を探していると抱っこしていた息子が泣いて、うっかり地面に落としてしまった。不穏な音を立てて器は敢えなく割れた。紙袋の中を覗くと、無残に粉々だった。今のわたしは、器すら持ち帰ることができない。砕け散ったかけらが何もかもうまくいかない象徴のように思えて、悲しくて靴も脱がずに泣いた。
そんなに泣かなくていいよとその頃のわたしの肩を抱きたい。ひとつひとつかけらを繋ぐ。パズルのピースのように。漆を丁寧に塗って、そっと乾かしておく。この器には銀色が似合うだろう。漆の上に錫でゆっくりと化粧をする。自然に放射状に割れたかたちは、作為がなくとても美しい。もともとうっとりとするほどの器だったけれど、複雑に入った銀色のラインは、それを唯一無二の存在感にした。
傷がなかった頃には戻らないけれど、むしろ戻らなくっていい。傷を隠すのではなく堂々と見せ、ほかの何ものにも似ていない唯一の何かになる。器を直すという行為だけれど、生きていく上でのメタファーに思えている。たとえまた、割れてしまっても、再び直せばいい。それがまた、魅力になるから。そんなふうに思いながら今日も、漆を塗る。
– Masako Nakagawa