9月 01, 2015

スローファッションの10月

スローファッションの10月

Photo and text by Karen Templer

 

 

自分で作った服を着るのは自分へのご褒美、そして自信にもなります。でも私にとっては、それ以上に価値のあるもの。自分が作ったという事実だけでなく、自分が搾取のプロセスに荷担しなかったということが。スロー・ファッションはとても大きなテーマです。買ったり作ったりする量を減らすことによって捨てる量を減らすことでもあり、サステイナブルな材料を使うことでもあり、人権侵害にも関わり、いま増えつつある個人のデザイナーが生み出す産業とも関わります。この10月、私はブログFringe Associationでこのテーマについて集中して取り上げようと考えています。

多くの皆さんがそうしているように、私も身につけるものをほぼすべてハンドメイドに切り替えるべく、日々考え、直し、私の両手で作り出した、生涯使えるデザインの衣類を増やす努力をつづけています。自分で着るためのセーターを編み始めて数年。このところは、すっかり錆びついてしまったソーイングのスキルの向上につとめています。着るものについてのすべてをコントロールしたい。欲しいものを、欲しいデザインやサイズぴったりに作る。でもその過程で、自分にコントロールできることはいかに少ないか、思い知らされています。

私は羊を育てていないし、毛を刈って自分で使うこともできません。糸を紡いだこともなく、織物も得意ではない。服を作るには、ほかの人が生みだした素材にすべてが左右されることになるのです。セーターを編むのもドレスを縫うにしても、もちろん、誰も私を危険な場所で働かせたり、生活できないような賃金で搾取したりなどしていません。でも、私が使おうとしている素材はどうでしょう?毛糸については、近頃ではどこの羊毛がどこで紡績されているのか知ることが可能になってきています。牧場自身が小規模に生産する毛糸の急激な増加に加えて、大手メーカーでさえ羊の品種や産地、紡績工場、そして使用している染料についての情報を公開するようになってきています。セーターを作るすべてのプロセスにおいて、羊も人間も誰も危害を加えられていないと確信を持てるのは素晴らしいこと。布地になると、状況はもっと複雑になります。このごろの布地はすべて中国製の様子、どんな環境で生産されているのか知る由もありません。労働者は安全な環境で、十分な報酬をもらっているかもしれません。でもそうではないかもしれない。布地がアメリカでは生産されなくなった理由の一つは、染料が有害だとみなされているからだと、テキスタイルのビジネスをしている友人が最近教えてくれました。だから、ほかの人にやってもらっているのだと。

80年代に子供時代を過ごした私は、ファッションに取り憑かれて育ちました。ショッピングモールが世界の中心だったけれど、とはいえそれはファスト・ファッション前夜。新品の洋服の定価が安すぎて(以前だったらクリアランス・セールの価格帯)、どう考えても生産・流通の過程で正当な報酬が払われているとは思えません。最近になってはじめて、ファッションが政治的な問題だと思うようになりました。人権や環境の問題。私たちが目を背けようと、その事実は変わらないのです。

これまでの10年、20年、どんなものを着て、繕い、お下がりに出し、手作りし、そして地元のデザイナーから買いましたか?スロー・ファッションについて一度立ち止まって考え、話し合いましょう。まだまだ知らないことが沢山あるので、皆さんからのコメントを楽しみにしています。

詳しい内容は、カレンのブログで。amirisuもスロー・ファッションの10月に参加し、ブログで発信する予定です。