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姉がピアニストへの道に舵を切ったのは小学2年生から。田舎で音楽の専門的な勉強をすることは恐らく今でも難しいとは思うが、当時はもっと厳しく、やはり時々は都会に出ていく必要があった。その一環として、東京の有名私立大学が開催する夏季講習に小学校高学年から姉と母は定期的に行くようになり、その間、必然的に私と父の二人が家に残されるようになった。諫早の家は二世帯住宅で隣の棟には祖父母が住んでいたため、洗濯や食事は何の問題もない。それに母親がいない数日間を過ごせるなんて、私にはギフトのようなもので、あまり困ってはいなかった記憶はある。
小学4年生の夏、東京に向かう二人を空港に送ったその日に、父が近所の寿司屋に連れて行ってくれた。私にとっての初めての寿司屋。その頃回転寿司なんてものはなかったため、二人でカウンターに座り、私はお酒を飲み続ける父の隣で黙って寿司を食べた。今思えば、薄くテレビの音が流れていたし、きっと庶民的なお寿司屋さんだったはず。でも子供にはカウンターは居心地が悪く、その場から帰りたかった。
やっと父の晩酌が終わり寿司屋からは解放されたが、次は何も話さない父と家まで歩いて帰る気まずい時間を過ごす羽目に。なぜかその時の暗い道と竹林の風景が、まるで切り絵のように脳裏に焼き付いている。あの時、父は不憫な娘を労ったのか。それとも自分がただ寿司を食べたかったのか。今の私はあの風景といたたまれない空気感を時々取り出しては味わっている。