7月 26, 2025

あの時私は - 夾竹桃とトンビ

あの時私は - 夾竹桃とトンビ


大学に入学して最初に驚いたことは、89日が登校日なのは長崎県だけだという事実だった。今はどうなのかは知らないが、1974年生まれの私の世代は小学生から高校生までとにかく激しい原爆教育を受けさせられた。毎年夏になると、写真、映像、本、講演会、ありとあらゆる方向から責められる。知らないことは罪だとばかりに。みなさんは自力で情報を取りに行かないと見ることがないであろう、なかなかに凄惨な写真や映像も多く、恐ろしくてたまらなかった。私にとっての夏は戦争と直結しており、まるで空に黒い雲がかかっているようだった。
どうして私たちばかりが、あんな目に遭わされたのか。大学の友人たちの話を聞いて憤りを感じたが、もうあの時のことは忘れようと思っていた。

 

大学2年生になった頃、所属していたオーケストラサークルに帰国子女が入ってきた。彼女は日本人だが、ずっとドイツで育っており、日本語よりもドイツ語と英語が得意なバイオリン弾きだった。
私の彼 (現在の夫)が働いていたアルバイト先のバンドを通じてまず彼と仲良くなった彼女は、次に私と仲良くなり、色々と話をするようになる。
ある時、私が長崎出身者と知った彼女は軽い感じで私に聞いた。「原爆の教育は受けてきたの?私もヒトラーについてとにかく学んできたわ。でもそれって当然のことよね。」

戦争の話題なんかしたくもないと思っていた私は、彼女のその発言に衝撃を受けた。そうか、当然のことなのか。どちらかと言うと、教育を受けたことを恨んでいた私にとっては、それを当然のことだとサラッと言う彼女が眩しくみえた。ただただ逃げている自分が恥ずかしかった。

 その出来事があったとは言え、私はまだ原爆が恐ろしく、とにかく自分の視界に入れないように注意して生きてきた。毎年、終戦の頃はテレビでキノコ雲が映る可能性が高いので、ニュース番組は見ない。夾竹桃もトンビも怖い。夾竹桃は原爆後の焼け野原に最初に咲いた花として有名で、トンビは原爆2世が白血病で死ぬ映画になぜかよく出てきた。学生の頃に勉強させられた映像や本の中の印象的な風景がまだ脳裏に残っており、全く原爆に関係ないのにも関わらず、私はそれらに出会うと古傷が痛むのである。が、30歳を過ぎた頃に転機になるある出来事があり、私は徐々に心を開いていく。その話は次回にしよう。

 ドイツ生まれのその彼女は、まめな夫の友人だということもあって、もう何十年も年賀状のやり取りが続いている。いつか彼女の住むドイツに夫婦で行きたいなと思っている。