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こんにちは、amirisuの共同代表のオチアイトクコです。今回より、数年前にオンラインショップのブログにて書いていた私の編み物仕事遍歴のリライト版をお届けします。
タイトルの「表現者になりたい」は私が22歳の時、結婚する前に書いた夫への手紙の中のフレーズ。私はその時に初めて、夫に何か自分を表現する仕事につきたいと表明したんです。それから紆余曲折ありましたが、今では一応表現者のような仕事につくことができ、自分ながらよかったなと思っています。
まずは、私のバックグラウンドから。 長崎県諫早市の里山風情が残る蛍が飛び交う田舎で高校生まで過ごしました。両親と祖父母と年子の姉の家族構成。今考えるとかなり大きな家に住み、小さな頃は毎日野山や田んぼを飛び回って遊んでいました。 父は技術系サラリーマン、母は習字の先生。クラシック音楽が好きだった父の夢だったのか、私と姉、それぞれ3歳からピアノを始め、私は小学2年生からクラシックギターに転向。大学生になるまでは、かなり本格的にやっていました。 小学生の頃から真剣にピアノをやっていた姉が、昼夜問わず洋間にあったグランドピアノでガンガン練習するため、うるさすぎてテレビは一切見られず、それもあって私は空いている時間のほぼ全てを本を読んで過ごすようになりました。よって、同級生の夫と昔のテレビの話で全く盛り上がれません。
野山で遊ぶ、楽器をしぶしぶ練習する、本を読む、の合間にやっていたのが手芸。納戸にあった大量の材料を好きに選んで、バッグや小物などを作っていました。今でも納戸のあの薄暗い雰囲気とミシンの匂いを思い出します。
編み物を初めて教えてもらったのは10歳の時。白黒のマフラーを編むべく、私と姉に全く同じ材料が与えられた記憶があります。最後まで編み終わったかどうかの記憶はありません。
冬になると母は「暮らしの手帖」に載っていたセーターなどを編んでいたと思います。私も本当はそういった大物を編みたかったのですが、とにかく日本式の編み図が読めませんでした。母や祖母に質問しても、私が納得できるような明確な答えをくれないため、なけなしのお小遣いで素敵な本を買っても結局はわからないまま。その頃の私にとっては、編み物本はただ眺めるだけの代物でした。 面白いことに、でも手は動かしたいんですよね。当時よくやっていたのが、かぎ針のモチーフ編みや棒針の本を引っ張り出して、それに載っている模様編み部分だけ取り出して編んでみたり。ウェアは編めないけれど、そういった小さなものをたくさん編みました。 それもあって、どちらかというと高校生までは縫い物中心。編み物はやるけどよく意味がわからない難解なもの、といった区分けでした。
大学生になって一人暮らしを始めると、縫い物をすることが途端に難しくなりました。実家にはミシンもありましたし、道具も全て揃っていましたが、一人暮らしでは道具を全て揃えることは金銭的に無理でした。 が、編み物は針と糸さえあればやれます。そして通販という便利なものがあることに大学生の私はやっと気が付きました。この頃から、本を買っては針と指定糸を添付ハガキで注文しては編む。の繰り返し。インターネットではありませんよ。ハガキ!です。 そしてその頃、市販本がこぞって、全チャートの本を出し始めました。編み図が読めなくてもチャートは読めましたので、それと編み図の照らし合わせで、段々と編み図の意味もわかってきたわけです。 とはいえ、ゲージの意味が完璧にわかっていませんでしたし、今考えると、基本的に1サイズしかない日本の本のサイズには私の体は合っていなかったのでしょう。本当に自分に似合うものは結局は完成しませんでした。
でも、編むという作業が本当に好きで、アルバイト先の古本屋でもラジオを聴きながらずっと編み物してました。そう、今となんら変わらない私のスタイルの始まりです。