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大学を卒業したあとは図書館司書になって、好きなだけ本を読む計画でしたが、3年生の時にバブルが崩壊。地方公務員への道は恐ろしく厳しいものとなり、私の計画はあっという間に頓挫しました。
とりあえずと言ったら失礼な話ですが、とりあえず結婚することにし、その後は夫の転勤もあって静岡県西部に7年ほど住んでいました。その間、ファミレスのバイトから最後は800名規模の小学校の市職員までやりましたが、どれも一生の仕事にしたいという気持ちにまではなれませんでした。
その後、夫の転職で沖縄に移動します。そこでも色々な仕事をやりましたが、どこでどう働いていても長続きしません。そんな自分の行き先を真剣に考え始めたのが30歳の頃です。
その頃、一緒に働いていた女性陣から編んでいるものを褒められ、本気でオーダーをお願いされたことがありました。当時流行っていたスパンコールがついたかぎ針のバッグだったと思います。大学生の時からいつでも何かしらを編んでいましたが、それまで人に褒められる事はなかったのでとても驚きました。というのも、20代の私の編み物といえばパリに住んでいる姉のために編んではせっせと送る生活。サイズの問題もあり、自分で身につけるものは1枚も編んでいませんでした。姉にはもちろん喜ばれていましたが、それを仕事にしようなんて考えもしなかったわけです。
オーダーはお断りしたのですが、こんなに褒められるということは、もしかすると編み物を仕事にしてもやれるかもしれないと思い始めました。考えてみると、音楽と読書以外で大人になっても続けていることは編み物しかありませんでした。そして、自分が会社員に向いていないということは、この10年ほどで身に沁みて感じていました。 よくして頂いた上司には申し訳ない気持ちでしたが、会社を辞めて編み物の勉強を真剣にやろうかと思った途端、夫がまた転職をし、内地に戻る事になりました。沖縄では編み物の勉強は難しいと感じていた私には願ってもない移動でした。
次の移動先は神奈川県。勉強するには便利な都会に住む事になりましたが、夫の仕事上、いつまで居られるかはわかりません。よって、いかに短期間で効率よく編み物を勉強できるかを研究しました。その頃はインターネットに教室の詳細を載せているところは皆無で、電話してみたり、人に聞いてみたりといい教室を見つけるまでにかなり苦労しました。
最終的にはインターネットで調べて見つけた都会の教室におよそ2年間、ほぼ毎週通って編みまくりました。資格取得も念頭に入れて勉強していましたが、最終的には、何を学んでも結局は自分の手を動かさないと自分の思う正解には辿りつかないということを理解しました。
また、この時期出会ったのが海外パターンの世界。先生が購読していたRowan magazineを見た時の衝撃は忘れられません。そしてRavelryの存在も教室の方に教えてもらい、その日から毎晩毎晩Ravelryを徘徊する日々が始まります。教室に通い始めた当初は、自力でデザインして自分にピッタリなものを作りたいという熱意で色々やっていましたが、Ravelryにはサイズ展開が豊富な編みたいパターンが大量にあり、もう時間が足りないぐらい。すっかり英語パターンの沼にハマり、編み物が更に好きになりました。
が、編み物ばかりしていたわけではありません。落合家の一員として、お金は稼がないといけないのです。夫との話し合いで、最低月6万を家に入れれば何をやってもよしとなりました。