5月 24, 2025

あの時私は - 数学仲間

あの時私は - 数学仲間

 

司書の免許を取るために大学に行くという目標が定まった私は、高校3年生の夏に、受験に必要な教科だけを勉強することに決めた。もちろん高校の方針とは異なるため、またまた担任に呼び出されてみたりと色々と揉めたのだが、とにかく私は苦手だった数学を何とかクリアしないといけないという思いが募り、仲の良い友達2人と課外授業のような形で数学教師に勉強を見てもらうことにした。

その友達は中学生の時に父親の仕事の都合でブラジルに住んでいた帰国子女で、海外に住んだことも外国人とそれほど話したこともない私にとっては刺激的な話をたくさん聞かせてもらえる大事な友人の1人であった。


先生お勧めの教材を2人で解き、放課後の職員室で先生に見てもらうということをおそらく数ヶ月続けたと思う。そのせいかどうかはわからないが、私は無事に大学に合格し、長崎から遠く離れた茨城県に引っ越すことになった。

今はどうかわからないが、当時の九州の高校生達は九州内で行きたい大学がなかった場合、大体が大阪付近の大学で事足りるため、関東まで行こうという学生はそこまではいなかった。私は東京を通り過ぎて更に北ということで、受験仲間は3名、最終的には私しか残らなかったような覚えがある。


数学を一緒に学んでいた友人は、結局地元の私立女子大へ行くことになった。彼女は県外の大学に行くと勝手に思い込んでいた私は、どうしてそこに行くことにしたのだと少し憤った気持ちで聞いた。親と話し合ってそこに決めたんだと私に言った彼女の顔を覚えている。

私は海外にだって行けるんだぞという父の申し出を断っているぐらいだったので、大学の行き先の考え方については色々な家庭の事情があるのだということに全く思い当たっていなかった。地方の子供達は恐らく今でも金銭面だけではない色々な課題があるのだと思う。あの時に初めて知ったその家庭の事情について今でも時々思い出す。


それから彼女は高校教師の免許を大学で取り、地元の高校で教師になった。20代の頃一度会ったが、私の度重なる引越しもあり、お互いの連絡先を刷新できず、そこから一度も会っていない。

自分勝手な気持ちをぶつけたあの瞬間を、いつか彼女と話してみたいと思っている。