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小さい頃からとにかく活字を読むのが好きだった私は、自然に国語の能力が身につき、常に国語だけは勉強をしなくとも楽々点数が取れるボーナス教科だった。が、そのせいもあり、国語の授業がとにかくつまらなく、中学生の授業中はずっと本を読んで過ごしていたため、そのことで担任に呼び出されたり国語教諭に叱られたりと、私の度を過ぎた読書量は軋轢を生むばかりだった。
高校生になった私は相変わらず隙間という隙間を読書で埋めており、まだ発展途上だった高校 (私は5回生だった) の図書室に通い詰める私を国語教諭たちはすぐに発見したらしく、ある日の放課後、図書室の奥に設置されていた国語教諭たちの溜まり場に招待して頂いた。コーヒーを振る舞ってもらいながら、3名の男性教諭から、いつも何を読んでいるのかとか、どういったものを図書室に入れたらいいと思うかなど一人の本好きとしての意見を求められた。あの時の先生方の座っていた配置や振舞われたコーヒーなどを今でも記憶している。とにかく私は嬉しかったのだ。読書家というと褒められそうな気もするが、私はとっくにその域を越していたため、大人からも煙たがられる存在だったように思う。そんな私を初めて受け入れてくれた読書好きのおじさん達。今まで本の話しを誰とも出来なかった思春期の私には大変有り難い瞬間だった。それからというもの、図書室には私が読みたい本がどんどん入荷され、私の読書量は増すばかり。忙しくて市立図書館に行けなくなった私には嬉しいシステムだった。
その時の国語教諭が高校2年生の時の担任になった。大学なんて行かなくてもいいと思っていた私は、司書になったらずっと本が読めるよと、合っていたような間違っていたようなことを吹き込まれ、司書になるためだけに大学に行くことに決めた。あの時、先生方に仲間として受け入れてもらえなかったら、私の人生はどうなっていたのだろうか。現在、昔よりは読書量は減ってしまったが、今でもベッドに入って寝るまでのKindleタイムを楽しみにしている。