11月 01, 2021

Through the Lens - Issue 23

Through the lens for amirisu by Masako Nakagawa
Through the lens for amirisu by Masako Nakagawa

 

認めざるを得ないのは、生身の感覚に勝るものはない、ということ。オンラインで多くのことが可能になったようにも見える。ひとと会うこともモノとの出合いも。でも、言語外のことが伝わりづらい。手触りも匂いもたたずまいも。直接触れることができれば瞬時に判断できるはずのことが、複雑になることもある。

情報とのつきあいもつい、増えてしまう。何かを調べるときにまずは、スマーフォン。大きい画面が必要ならコンピューター。画面の向こうに自分なりの真理の手がかりを探す。けれど、だんだんと渦に巻き込まれるような気持ちにもなる。体感を取り戻すことが必要だ、と思う。大袈裟ななにかじゃなくていい。自分の目と耳と鼻と皮膚で、感じる訓練が必要だと。

山に登ったり川辺を走ったりもした。それも続けている。そこに加え、ちかごろ大いに見直しているのが散歩の効用。散歩など人生の晩年にする行為でもいいように思っていた。山歩きならともかく、見慣れた近所をただ歩くなどきっとすぐ、退屈してしまう。

ある日、そんな思い込みを一度捨て、イヤホンも置き、ただドアを開けて歩いてみた。小雨が降っている。アスファルトからは雨の匂いが立ち昇る。夏の盛りだと思っていたけれど、もう、秋の虫の声。道端に生茂る草のほとんどの名を知らない。咲き終えた花が路上に鮮やかな花弁を落としている。剥き出しの二の腕を雨が細くつたい、雲の切れ間に少しだけ水色が見える。気づけばずいぶん遠くまで歩いていた。

退屈などなかった。ただ歩くだけの行為がこんなにも豊かであったことに驚く。閉じていた感覚がみるみると開いた実感があった。画面を同じ距離で見つめ続けることですっかり固くなっていた両目のフォーカスリングも、ゆるゆると自由度を取り戻した。脳内もぐるぐると、まわり始めた感じがする。

答えなんてすぐでなくていい、と思う。滞らないようにさらさらと、健やかに巡らせればいつか、辿りつくべき場所に行くだろう。そのためには物理的に動くことが必須だった。そんなふうに思って実に明るいきもちで家へと向かった。2時間半歩いていた。ちょっとやりすぎた。でも今日は、そのくらいの時間が必要だったんだと思う。

明日もまた、歩こう。感覚を手放さないために。

 

                  – Masako Nakagawa