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メリさんとの出会いはRavelry。当時は夜な夜なRavelryの森を彷徨い歩いては、楽しんでいましたが、そこでたまたまメリさんを発見し、編んでいるものが素敵なので、とりあえずRavelry上で友達になり、そのあとTwitterをフォローしました。 メリさんもすぐにフォローしてくれたような覚えがあります。 お互いただのフォロワー関係だったわけですが、このメリさんからのメッセージをきっかけに、直接会って編み物のことを話せる友人になりました。
2011年の震災後の私は講師を始めて2年になろうかとしている時で、6万円チャレンジは無事に達成しており、ある程度の収入を講師業で得ていました。当時のブログを読むと、生徒さんが増えるにつれ、教室を少しずつ拡大している様子が伺えます。 講師業の傍らその当時考えていたことは、自分で本を出したいということ。パターンブックではなく、海外の編み物を紹介する本をです。
Ravelryにあるパターンばかりを編んでいた私は、海外の編み物を日本にも広めたいという気持ちが年々膨らんでおり、どうやったらその良さを紹介できるかを模索していました。もちろん自分のブログでは発信し続けていましたし、そこに興味がある方が習いに来て下さってはいたものの、やはりインパクトが大きい書籍で発表したいと考えたわけです。 いつものように関連本を読み、お話を聞ける会があったら足を運び、実現に向けた行動をしていました。小さな冊子ならば自前の費用で出せるのではないかとコストを計算するも、やはり難しくて断念。 でも本を出したい!という熱意を色んな人に訴えていたところ、一人の編集者を紹介して頂きました。その編集者に張り切って企画書を出すものの、残念ながら返事はなし。
そんなもどかしい状況にどうにもこうにも耐えられなくなり、ここは自力で電子書籍で本を出そうと決意しました。それならば元手はあまり掛からないと踏んだからです。そのことをブログに熱く書いた記事を読んだメリさんが、「私も一緒にやる!」とすぐにメッセージをくれたのです。 実は、その時メリさんと直接会った回数としては、たった2回しかありませんでしたが、どうしてか、一緒にやろうとすぐに思いました。2011年11月、これがamirisu誕生の瞬間です。
書籍を出そうと思っていたところに雑誌の仕事に携わっていた経験のあるパトーナーが現れ、ラッキーな私でしたが、初回の打ち合わせで出た、バイリンガルで出そうという提案には目を白黒。途端に事が大きくなったわけです。 ここから私のめまぐるしい人生がスタートしました。
今でも、あの時どうして一緒にやろうと思えたのか、考える事があります。私に関して言えば、メリさんが書く文章が好きだったから。私は文章至上主義のようなところがあり、あのブログを書ける人ならば、きっと上手くいくに違いないと思ったのでしょう。予想は的中しましたが、まさか他の面でもこんなに似通っているとは当時は思いもよりませんでした。
amirisuの創刊は2012年8月。3月にデザイナーの応募告知をし、撮影をし、メリさんはWebを一人で構築、私もほぼ一人で日本語と英語合わせて20パターン作り上げました。始めるまでは何もわかっていませんでしたが、とにかく膨大な仕事量でしたし、世界中から予想もしていないほどの大きな期待が私たちに寄せられました。 Webオープンの1週間前から家で缶詰になり、PCの前でただただ作業する日々。今までの人生の中で、一番追い詰められた1週間だったと思います。 仕事が終わって泣いたのは、生まれて初めてのことでした。
amirisuの創刊号を出す作業でドタバタしている時期に、企画書を提出した編集者から、会社に一度企画内容の説明に来て欲しいと打診がありました。 もうすっかり諦めていましたのでドキドキしながら行ってみると、そこには編集長と副編集長、そして担当編集者の3名が待ち構えていたのです。さあ、本を出せるかどうかの局面到来です。