表現者になりたい -トクコの編み物仕事遍歴 2-

5月 07, 2019

編み物を初めて教えてもらったのは10歳の時。白黒のマフラーを編むべく、私と姉に全く同じ材料が与えられた記憶があります。最後まで編み終わったかどうかの記憶はありません。

冬になると母は「暮らしの手帖」に載っていた編み物を編んでいたと思います。私も本当はそういった大物を編みたかったのですが、とにかく編み図が読めませんでした。母や祖母に質問しても二人とも明確な答えをくれないため、なけなしのお小遣いで素敵な本を買っても結局はわからないまま。その頃の私にとっては、外国人が日本語の編み物本を買うのと同じ状況だったわけです。
面白いことに、でも編みたいんですよね。よくやっていたのが、かぎ針のモチーフ編みや棒針の本を引っ張り出して、それに載っている模様編み部分だけ取り出して編んでみたり。ウェアは編めないけれど、そういった小さなものをたくさん編みました。
だから、どちらかというと、高校生までは縫い物中心。編み物はやるけどよく意味がわからない難解なもの、といった区分けでした。

大学生になって一人暮らしを始めると、縫い物をすることが途端に難しくなりました。布を自分で買うということが難しかったからです。
が、通販があることに大学生の私はやっと気が付きました。この頃から、針と指定糸をハガキで注文しては編む。の繰り返し。インターネットではありませんよ。ハガキ!です。
そしてその頃、市販本がこぞって、全チャートの本を出し始めました。編み図が読めなくてもチャートは読めましたので、それと編み図の照らし合わせで、段々と編み図の意味もわかってきたわけです。
とはいえ、ゲージの意味が完璧にわかっていませんでしたし、今考えると、どのウェアも私には大きかったんでしょう。本当に自分に似合うものも結局は完成しませんでした。

でも、編むという作業が本当に好きで、アルバイト先の古本屋でもラジオを聴きながら編み物してました。そう、今となんら変わらない私のスタイルの始まりです。