5月 25, 2019

表現者になりたい -トクコの編み物仕事遍歴 9-

神奈川に戻ってきてまず、教室をやれそうなカフェを探すことにしました。カフェ通の知り合いがいたため、その方に紹介された武蔵小杉付近のカフェでWSや定期的な教室をやることに。

もちろん当時は知名度なんか何もありませんので、手芸団体が主催するWSの講師をやったり、違うカフェで単発をやってみたりと、試行錯誤しながら先生業をやっていました。
今でも覚えているのが、渋谷の松濤のマンションで会社帰りのOLたち狙いのWSをやるために雇われ講師をしていた頃、経費を切り詰めるために毎回お弁当を作って行っていたこと。東急文化村のベンチでWS前にお弁当食べてましたね。とにかく当時は6万円を達成するのに必死でした。
その時にやっていた靴下WSにきたのが、会社の初期メンバー廣中です。遅れてWSに来たのに、とっても上手であっという間にみんなに追い付いた記憶があります。

ここから講師業としての時系列が私の中で曖昧でして、一体いつ何をやっていたか、きっと生徒さん方がご存知だと思います。
武蔵小杉のカフェは突然閉店したために、続けたいという希望の方の自宅に赴いて教える仕事もしていましたし、その他の教室場所をいつでも探していて、藤が丘のレンタルスペースでやったり、そこも閉店して、自由が丘でまたスペースを借りたり。渋谷のカフェミヤマのレンタルスペースは長くやっていましたね。

私の長い生徒さんは神奈川よりにお住まいの方が多いのですが、それは私のキャリアが横浜からスタートしたからなんです。みなさん、長い長いおつきあい、本当にありがとうございます!おそらく5つぐらい教室場所を転々とした生徒さんもいますよね。ご迷惑おかけしています。

まだ武蔵小杉のカフェで教室をやっていた頃に、震災が起こります。震災の後、編み物で何かできないかと思い、講師や制作のボランティアをいくつかやっていたのですが、震災の少し前にRavelryで友達になっていたメリさんから、初めてのRavelryメッセージが届きます。
「震災のボランティアで講師をやってほしいのですが、ご興味がありますか?」と。遂にメリさん登場!